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子供の頃の趣味(いろいろあって懐かしい)

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ネットで”iPhone 小学生"と検索したら出てくる出てくる。
まぁiPhoneなら色々制限かけられるからAndroidよりも安全なのかな?
Androidって制限どうやってかけるんだろう。携帯会社の方で制限するのかな?
使ってないからわからない。
ただ、キッズ用のAndroidがDoCoMoから出てるのは知っている。アプリも入れられないのも知ってる。
後、おじさん用のらくらくスマホもアプリがインストール出来ないと知っている。

で、僕の子供の頃のおもちゃですが...
体が弱くおうち遊び。


小学生以前

 プラレールとダイヤブロックと安いプラモデル
プラレールもダイヤブロックもパッケージ通りに作った記憶は皆無。
部品単位では買えなかったのもある。とりあえず部品が欲しかった。
プラレールもいくつか買ってもらい、友達を含め子供3人を一周するくらいの周回距離。
その頃はまだ複線のパーツがなかったような気がする。
好きなのはもちろん0系新幹線。6両編成とかにして遊んでいた。
ダイヤブロックは部品として買ってもらい、飛行機や秘密基地などを作っていた。


小学校低学年

 プラレールは飽きてダイヤブロックも飽きてきてプラモデル。
プラモデルは何を作っていたのか覚えていない。覚えてるのはプラモデルの接着剤の品質の悪さ。なかなかくっつかず、せっかちな自分はイライラしてた。

 プラモデルに飽きてラジホーン(学研)(笑)
小学2年の頃から3年にかけて学研のラジホーン。知らない人は検索で。でも言いますと2つセットで売ってるおもちゃのトランシーバーです。周波数は27Mhz帯(いわゆるCBバンドかな?)で、AM(ラジオのAM、振幅変調)と後で知識を得た。電波飛びませんし入りません。
多分これらよりも3年は古かったはず。


トランシーバーでする会話の内容に意味はなかった。
電源オンにしておくとうるさいし電池もなくなるから待機なんてできない。
どこまで電波が届くかに興味。
話す言葉は、「こちら○○、☓☓応答せよ、応答せよ」、「はい、こちら☓☓、どうぞ」とそればかり。
話に内容は無い。
で、電池がなくなって開けると、回路が見える。まぁ回路自体に何にもわからない。
電池がなくなると電波が飛ばなくなるから悲しかった。
電池なくなったかなと確認のため006Pの9V電池の端子をペロっとでも舌で舐めると酷い目にあう(涙)(笑)。


小学校高学年

僕がこの頃といえば、巷で流行ってたのはフラッシャー自転車だと思う。興味がなかったので思い出せない。
検索すると出てくる。
特にYoutubeのは笑える。
フラッシャーと言っても、夜間、ドライバーに走ってることに注意を促す100均でも売ってるリアで赤い高輝度LEDの点滅ではない。
ラジオ付きやリトラクタブルライトのまである。電子音まで鳴る。変速レバーにはデジタル。
ある意味、変な意味でバブルな自転車だ。
重くなるだけで走る苦痛は、見せびらかす快感でリカバー出来たのであろうか?(笑)
乗ったこと無いからわからない。
♪ツツンツツノダツツンツツノダ自転車ツノダのT・U号ってCMは覚えてるような。

今、金と暇と根気があるなら、あの自転車をフレーム取っ替え、フラッシャーやライトはハイパワーLEDに交換し、ついでに電動アシストもつけようか。
というか、電動アシスト自転車をベースにハイパワーLEDを組み込んだフラッシャーと前方リトラクタブルライトを搭載し、AMラジオの代わりiPhoneか無理やりiPad miniを載せNAVIさせて走るのもバカバカしくていいかもしれない。


で、この頃から学研の科学と学習を定期購読
学研の電子ブロックというものを知った。
小学校3年の頃買ってもらった。安いやつだったと思うけどラジオが出来る電子ブロックだった。
ただ、作れる回路が少ないのですぐ飽きてくる。
そして4年生の時にはマイキットになった。
これは、抵抗やらコイルやらコンデンサーやらと電気パーツがボードに配置され、部品の両端に結線のためのスプリング。
スプリングを少し曲げ、曲げてできたスプリングの隙間に付属のリード線を挟む。

そうやって回路を作るわけだけど、小学生4年の電気の知識ではオリジナルの回路など出来っこなく、飽きる。
それに、これは回路の何の部分だとか作っていても幼い子供にはさっぱりわからない。

小学5年でラジカセ

初めてラジカセ(ステレオではない)を買ってもらった。ビクターかどこか。一番下のモデルと思われ。
音が悪かった。期待してたのに買ってくれたのがこれかよと幻滅。
でも、初歩のラジオとかラジオの製作を読み、ソニーのラジカセに思いを馳せる。
Studio1980という高級機に憧れた。

この頃はウーファーとツィーターの2ウェイが最初で新しかったです。
これらは後に3ウェイとなり、ステレオとなり、そして消滅しました(笑)。

同時に、友人が安い短波ラジオというやつを買った。ちゃんとしたメーカー製じゃなく通販ものだった。
だけど海外のラジオや無線が聞こえるという。
海外のラジオ(BCL (びーしーえる)とは、Broadcasting Listening / Listeners)には興味なかった。聴取レポートを送るとBCLカードがもらえたが興味がなかった。
人の無線の会話(アマチュア無線)を聞くことが楽しかった。
ラジカセ熱はなくなり、BCLラジオが欲しくなった。
ただBCLラジオは大手メーカーから色々出てた。SONYのSKYSENSORやNationalのクーガー。
でもいろいろ調べていくと、本格的な無線機には及ばないことがわかりBCLラジオに興味はなくなった。

小学6年生の時、家でステレオ装置を買った。やっとシステムコンポが流行ってきた頃。
プレーヤー、カセットデッキ、AM,FMチューナー、アンプ、スピーカーのシステム。
しかし、後でで知ったのは、全部同じメーカーでシステムを揃えるのはダメだということだった。しばらくは泣く泣く我慢して使った。音の良し悪しなんてわかりっこないくせにである(笑)。
結局は後の高校の時CDがリリースされ、ソニーの内覧会でCDの音を聞き、アナログの限界とやらを知り、高校3年間はこのしょぼいステレオで我慢しようと決意した。

そして6年生の秋、親友がアマチュア無線の免許をとった。その父も免許を取り、すぐにトランシーバーを揃えて無線局を開局。遊びに行った時にデスクの前にな選ぶTS-510という無線機が羨ましかった。(今思えばその頃既に旧型機で揃えていたのだが。)



中学1年。アマチュア無線の免許取得。開局

半年か1年遅れで免許をとった。友人がJA○(○の中は数字、関東なら1)のS○○(○○はアルファベット)で僕はJAのU○○だった。ちなみに田舎なのでJAコールだけど関東ではJの後はもっと後のアルファベットだった。
子供の声でJAとか言うと、関東の人にすごいベテランの中学生だねと言われた。
父は無線に興味はなかったが、外国と交信したいというと、その頃のハイエンド機のTS-820Vを買ってくれた。

アマチュア無線ではなぜかトランシーバーのことをリグというのだけど、このリグは真空管タイプの傑作だと思う。
真空管タイプなので電波を飛ばす前に真空管に負担がかからないように調整が必要。
またレベルメータ(左上)はアナログですが、中央上の周波数メーターはデジタル、中央大きなダイヤルのチューニングメモリはアナログという、ハイブリッド。
HF機(1.9Mhzから28Mhzの短波機)でデジタルメーターは最初だったかも。
この後、デジタル化が進んでいく。

免許の関係で出力は10Wだったが、オーストラリアや北米と交信できた。
そして幸運にも8J1RLというコールサインの南極昭和基地とも交信出来た。ぼんやりと、誰かいないかなぁとチューニングダイヤルを回していたら8J1RLがCQを出してて僕が最初の応答だった。普通だったらCQに対する応答が多く、まず無理である。交信途中でパワーに任せて途中で邪魔するのは違反ですから相手にされない。僕の後は凄いコールの嵐。
変調方式がSSBというシングルサイドバンド方式なので沢山の相手への(8J1RLへの)呼びかけは全て混じって聞こえる。強い電波だけが聞こえるわけではない。

中学3年の時近くの高校の2つ先輩2人と交信し仲良くなった。その高校に入学し無線部に入った。
無線部に入ってもあまり活動はしなかったが、無線部には珍しく同学年で女の子が3人も入部、しかも2人は学校で指折りの女の子。学校中の人気でうらやましがられた。

夏、8月第一週土日のField Day コンテスト
山の上など電波が飛びそうなところでテントを張って無線局を設置して交信数を競う。
最期の学年まで必ずやった。OBも彼女ら目当てで来るし。無線機やアンテナやテントの設営ぐらいしか仕事ないんですが・・・
もちろん女の子は声的に即戦力。
声の小さい子でも、指向性マイクとAGC(AUTO GAIN CONTROL:自動利得制御)とスピーチプロセッサ(振幅変調における、音声信号の電圧の低い部分を増強することで振幅の平均値を増加させる回路)でカバー。
交信希望が殺到し、「誰か話して~」とCQしないでも、次から次と一本釣り。
僕は更新記録(ログ)を横で書いたり、うちわで扇いだり、飲み物提供の作業。ログに書くのは時間とコールサインと交信感度だけ。逆に言えば、更新数を競うので余計なお話は無し。
話をそれ以外で長引かせるようなオヤジが来ると愛想よく、はい、さいならするために、次の相手からマイクを僕へ。
コールしてくる相手が少なくなったらまた、おとなりで休憩したり、2日目で少なくなってきた冷たい飲み物分けあって飲んだり、うちわで仰いでくれてる女子部員に交代。
そんなわけで、真夏の夜9時から次の日の昼まで女の子と二人一組で休憩しながら、時々組み合わせをかえてて無線です。
真夜中は交代で寝るかゲームですね。
それと、手作りの差し入れも、若い高校生にとっては味など関係なく栄養剤以上のエネルギー源である(笑)。
それ目当ての先輩も来るくらい。
まぁ、今は絶滅危惧種か高齢化が進んだアマチュア無線。でも当時は楽しかった。


しかし、高校1年の頃から、趣味はアマチュア無線からマイコン(今から言えば家電に入ってるコンピュータよりしょぼい8bitのコンピュータ)になっていた。

ここまで、結構色々な物に興味を持ってきた。思い出すと懐かしい。
幼少期のことは意外に覚えている。
おもちゃ屋さんで買ってもらえなくて(値段ではなく、壊れていた)駄々をこね、無理やり車に押しこまれた時、走りだしているのにいきなりドアを開けて、ものすごく怒られた(笑)。

仕事の合間に書いた回顧録だけど、記憶の整理になる。


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